納音は何かを手放す時②

昨日の続きです。

納音は「一区切りする」「何かを手放す、終わらせる時」時だというお話をしましたが、

今日は西方納音の前後に、私自身に起こった出来事についてです。

まず、納音の前年に父が急病で4か月の入院後、73歳で他界したのです。事業承継はしていたものの、この後、社内のいろんな問題が起こりはじめます。なんとか数か月乗り越えて、社内の問題も一段落したところ、次におこったのが私の離婚問題でした。

これも後になって冷静に考えると、突如起こったことではなく、夫婦間に根本的な問題があったので、来る時が来たのだと思います。よく離婚は結婚の何倍ものエネルギーを使うといいますが、正にその通りで、子どもの問題はじめ、積み上げてきたものを崩壊させるという事がどれだけ大変なことか、公私ともに本当に苦しい一年でした。これが納音の前年の話です。

翌年、納音の年になり、離婚することにお互い合意しました。娘も辛かったとは思いますが、最終的に納得してくれたことは大きかったですね。その娘は海外の大学に進み、離婚が成立した後、私もひとりでゆっくりしたいなと思っていた時、今の主人と出会うことになったのです。これが私にとっては人生の大変革でした。

父の死、離婚、そして新しい出会いも、短期間で次々に起こり、全く予想外のことでした。これらは納音の前年からはじまり、納音の年、翌年と3年弱の間に起こったことです。

納音の翌年に、原因不明の高熱が3日ほど続いたことがあったのですが、これだけの事が一気に起こって、心身のバランスも崩れたのでしょうね。正直なところ、あの時は、このまま死ぬんじゃないかと思ったくらいでしたが、振り返ってみると、あの高熱でこれまでのことが一気に浄化され、納音の現象もこれでひと段落となったようです(笑)

今振り返ってみても、父の死と私の離婚も無関係ではなく、その結果、驚くほどお互いを理解し合える主人と出会う事になり、全く新しい幸せな人生が始まった。実は全ては繋がっていたのです。

これはあくまでも私の経験ですが、納音の年に、正に「何かを終わらせる」事になり、そして新しい人生が始まったという話ではあるのですが、ただ納音で、いきなり何かが変化するというよりも、その兆候があり、約3年ほどかけて人生が大きく変わったという感じですね。

話が長くなりましたが、納音は、一生の間、ほとんどの方に回ってきます。もちろん、私のようなことが必ずおこるわけではありません。中には大きな試練や変化が待っている方もいるかもしれません。大切なことは、納音によって何が終わり、何が始まるのかを冷静に観察していくことです。

それが新しい人生の扉を開くためにも大切なことなのです。

人生は必ず好転します。

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